何を言うか
- 景山陽
- 2024年2月7日
- 読了時間: 2分

僕は普段、写真を撮る際は何か具体的な写真を撮ることに力をいれている。
この写真は植物が種を飛ばしている様子ですよ、とか、花が枯れて実になる様子ですよ、というシーンの具体的な説明写真だ。
一方で、「あなたは写真で人々に何を伝えようとしているのですか?」
という抽象的な説明を問われても正直上手く答えられない。
僕は、「生き物の工夫」をテーマにしているが、このテーマの写真群が社会に何かを伝えようとしているのかと聞かれると、少しもごもごしてしまう。
生き物の工夫とは、生き物の営みの中で見出せるものであるから、人の営みである人間社会とはかけ離れた所にある。
そもそも、僕自身が人間社会から逃げようとしている
美容院での会話が嫌で、髪は自分で切っているし、フィールドを歩いている時に軽トラや人影が見えたら、人と会いたくないあまり、すぐに道を引き返してしまう
人が嫌いというよりは、人とすれ違う瞬間の挨拶をするかしないかを見定める一瞬の葛藤の時間が嫌なのだ。
写真家の中には、人と生き物の関わりをテーマに挙げる人をちらほら見かけるが、僕が人間社会から逃げ続ける限りは、そういった観点の写真は撮れなくなってしまう気がする。
ここ最近、野菜や果物の撮影もしてみたいと思っているが、農作物は人間無しでは語れない被写体なので、農家さんとの交流無しでは踏み込んだ撮影ができない。
やはり、人間社会からは逃れられないのだ。
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